Sep 08, 2009
FXで注意すべき点は、
FXで一番難しいのが、やはり、"事故時""販売時"だと思います。人事の発言や自然災害、価格変動は、簡単に変わってしまうからです。どんなに簡単なFXのサイトやツールを使用していても、価格の変動を読み取ることがなければ意味がありません。転送されてくるニュースを読むことはもちろん、"過去にこのような発言(事件)このとき、このように動いた"という情報も必要です。手形の割引を得るときは、発行人の信用を確認することができます。つまり、手形割引金利が危険の度合いを示すものである。もし、金利が高くなったり、"今回限り"というと、注意しなければならない。自分の所の取引もまた考えなければならない。一つの目安とするために手形割引は、使用する。
◆プロボクシングWBC世界スーパーバンタム級(55・3キロ以下)タイトルマッチ(12回戦) 王者・西岡利晃―同級2位・ラファエル・マルケス(10月1日・米ネバダ州ラスベガス・MGMグランドホテル&カジノ) WBC世界スーパーバンタム級王者・西岡利晃が10月1日(日本時間2日)に米ネバダ州ラスベガスで、元2階級王者で同級2位のラファエル・マルケスと7度目の防衛戦に臨むことが26日、発表された。KO率78%の世界的名手を挑戦者に迎える一戦は日本人初となるラスベガスでの防衛戦。しかも舞台は幾多の好試合を生んできたMGMグランド。「キャリアの中で一番のビッグファイトになる」と力を込めた。
夢にまで見た本場のリングで実現するスーパーファイト。西岡はV7戦の生中継を予定するWOWOWの都内でのイベントに出席し「世界的に名の知られるマルケスとラスベガスで戦えるのはワクワクする」と興奮を抑えるように語った。
日本人王者初のラスベガス防衛戦。舞台は「数々の名勝負が行われてきた世界最高峰の会場」(西岡)というMGMグランド。聖地中の聖地でメーンイベントを飾る。
マルケスは46戦中36KOを誇る右の強打者。激しい打ち合いが持ち味の元2階級王者だ。かつて西岡と同じベルトを保持したことがあり、王座返り咲きを狙う。
過去6度の防衛のうち5度をKOで決めてきた王者は「今までのキャリアの中で一番のビッグファイト。見る人も満足できる試合ができれば」と気合を入れ直した。
陣営は4月のV6戦後からラスベガス防衛戦へ動き始め、今回、米大手プロモート会社トップランク社と提携し、実現にこぎ着けた。試合は日本とメキシコ、全米でも中継が計画されている。
25日に35回目の誕生日を迎えた。単身東京で練習に励む中、兵庫・尼崎市の自宅に住む長女・小姫ちゃん(5)から「お仕事頑張って!」と書かれたお祝いのカードが届き「これは頑張らな」と表情を崩した。元WBC世界フライ級王者・内藤大助(宮田)の34歳8か月を塗り替える日本人最年長防衛記録がかかる一戦には家族を呼び寄せるつもりだ。
09年5月のV2戦で敵地メキシコでジョニー・ゴンサレスをKOで沈め、今の地位を固めた。「マルケスに勝つことで西岡の名前が世界のファンに認知されると思う」。この勝負所をものにし、歴史に名を刻む。
◆MGMグランド 1963年開業の巨大カジノホテルで、約1万7000人収容の「ガーデンアリーナ」と約6000人収容の「ホテル&カジノ」の施設を持つ。97年6月のWBA世界ヘビー級戦では挑戦者マイク・タイソンが王者イベンダー・ホリフィールドの耳をかみちぎる反則行為を行った。近年では元6階級王者オスカー・デラホーヤ(米国)も主戦場とし、08年12月に当時4階級王者だったマニー・パッキャオ(フィリピン)とのノンタイトル戦で8回TKO負けを喫し、引退した。
◆ラファエル・マルケス 1975年3月25日、メキシコ生まれ。36歳。95年3月、プロデビュー(8回KO負け)。03年2月にIBF世界バンタム級王座奪取(7度防衛)。07年3月、イスラエル・バスケス(メキシコ)からWBC世界スーパーバンタム級王座を奪取し、2階級制覇。同8月のバスケスとの再戦となった初防衛戦でTKO負けし、王座陥落。身長165センチ(リーチ174センチ)の右ファイター。兄のファン・マヌエル(37)は3階級王者。
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◆世界水泳2011 第11日(26日・上海) 男子100メートル背泳ぎ決勝を行い、入江陵介(21)=イトマンSS=は52秒98で日本勢の今大会第1号となる銅メダルを獲得した。自身では09年200メートル背泳ぎの銀に続く2大会連続、100メートルでは初のメダル。ラクール、ストラビウス(ともにフランス)が52秒76の同着で優勝した。入江は金メダルで内定だったロンドン五輪切符はお預けとなったが、得意の200メートル(29日決勝)金メダルに弾みをつけた。
先行されても冷静に力をためた。前半の加速力とターンで劣る入江が、最初の50メートルを7番手で折り返す。反撃はここからだ。バサロキックから浮かび上がると一気にトップギアへ。世界一の技術と称される泳ぎでぐんぐんと加速する。残り10メートルで上位陣を捉えた。最後のストロークをかき終え、懸命に伸びた。
電光掲示板に「3」が浮かぶ。同着1位だったフランス人コンビとは0秒22差。逆に4位とは100分の3秒差のセンチ勝負。後半の50メートルは8人中最速の27秒00。猛追で4人を抜き100メートルで初のメダルを勝ち取った。「100メートルはずっと4位というのが自分の頭の中にあった。メダルを取れたことに一番ホッとしている」。ロンドン五輪開幕をちょうど1年後に控え、勝ち取った日本人第1号メダルに笑顔がはじけた。
2年前の世界水泳は重い十字架を背負った。大会前の5月、日豪対抗の200メートルで1分52秒86の世界新をマーク。だが着用水着が認可されず、世界水泳連盟に非公認とされた。高速水着の象徴的存在として好奇の視線にさらされ、外を出歩くのさえ嫌になった。
迎えた本番は100メートルで100分の9秒差で4位。顔面そう白で落ち込んでいた時、声をかけてくれたのがその大会中に急死することになる日本水連の古橋広之進・名誉会長だった。200メートルを翌日に控えた入江に、「お前は明日、あさってだよ。(100メートルは)よく頑張った」。そんな温かいゲキは200メートルの銀メダルにつながった。
過酷な経験からはい上がり、入江は成長した。昨年、けがなどに泣かされると今年から再出発。「五輪の年に急にやるとリスクがある」と来年を見据え、筋力トレや泳ぎの映像分析など新たな試みを取り入れた。2キロ増の64キロとなった体重はスピードアップにつながり、泳ぐ際にくの字に曲がっていた腰を改善すると水の抵抗も減少。この日は高速水着が使用禁止となった昨季以降、初の52秒台を叩き出した。
レース後、表彰台に上ると観客席から「陵介〜!」の声が飛んだ。チームメートだった。不振の日本、そして100メートル平泳ぎで4位に終わった北島の分も精いっぱい泳いだ。「100メートルでは2年前より順位が1個上がった。200メートルも1個上げたい。いい色のメダルを取りたい」。得意の200メートルでは09年ローマ大会の銀を超える自身初の金を奪い、五輪王者へと突っ走る。
◆入江 陵介(いりえ・りょうすけ)1990年1月24日、大阪市生まれ。21歳。近大4年。男子100、200メートル背泳ぎ日本記録保持者。08年北京五輪は200メートル5位。09年5月に200メートルで当時の世界記録を上回ったが、着用水着が認可されず幻に。10年広州アジア大会2冠。サッカー好きで日本代表選手の親友も多い。178センチ、64キロ。
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