May 22, 2009

いつでもウォーターサーバー

毎日毎日、いつでも、いつでも飲み続けるのされているのがウォーターサーバーということですね。基本的な負の値もそうだし、その他のお茶やコーヒーを淹れても、必ずご使用に家庭での水分には欠かせない存在です。だから私はいつでも側に置く、首相のサーバーを大切にしたいですね。
リークの主な原因は、配管に穴があいたようなものもありますが、ほとんどは、接合部の歪みが原因として知られています。その接合部分の歪曲だとすると、接合部分にはパッキンを使用していると推測されるが、そのパッキンが古いによるひび割れや摩耗などの現象によるリークが多いです。パッキンのゴムからメタルパッキンのようなものも、もちろんゴムは腐食も早いです。
 5日夜に震度5強を観測した和歌山県内では、運転を見合わせた鉄道の影響が深夜から6日早朝にかけて続き、県など関係機関も被害状況の確認などの対応に追われた。県総合防災課によると6日午前10時現在で負傷者や建物倒壊などの被害はない。震度5弱を記録した湯浅町では、民家などの瓦の崩落が8件あったほか、しょうゆ醸造会社の蔵で土壁が一部はがれるなどの被害が出た。

 地震発生を受け、JR西日本は同県内の全線で一時運転を見合わせ。紀勢線紀伊由良−広川ビーチ間のトンネルでは列車が安全確認のため停車、乗客52人が5時間近く車内に閉じこめられた。乗客らによると、車内の冷房と明かりはついたままで、大きな混乱はなかった。車内アナウンスで地震があったことを知らされ、落ち着いて待つよう呼び掛けられた。

 列車は午後11時半すぎに運行再開。広川ビーチ駅で家族に迎えられた専門学校生の宮本安由美さん(20)は「周囲が真っ暗だから不安で仕方なかった。携帯電話がつながらず家族と連絡が取れないのが困った」と話した。

 紀勢線は車両のやりくりの影響で、6日午前5時22分発の紀伊田辺発和歌山行の普通列車など下り計3本が運休や部分運休になり、約930人に影響した。

 また6日朝になって湯浅町のしょうゆ醸造会社「角長」で蔵の点検に行ったところ、土壁が一部はがれたり、しょうゆがポリタンクから漏れ出すなどの被害があることが分かった。

 安政南海地震(1854年)の津波の際の「稲むらの火」の故事で知られる広川町では震度5強を記録。町民約140人が広八幡神社や津波防災センターなどに自主避難したが、津波の恐れがないことが確認され、午後9時半までに全員が帰宅した。

 和歌山県は地震発生に伴い本庁と7振興局の計723人体制で対応。宇恵元昭・県危機管理監は「大きな被害がなくてよかった。ただ、東南海・南海地震に備え、市町村からの情報収集や指示系統については、さらに改善も必要だと感じた」と話した。

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 新潟県の東京電力柏崎刈羽原発で原子炉の保守管理を担うメーカーグループの社員、上原敏明さん(49)=柏崎市日吉町=が9日に地元で開かれる100キロマラソンを走る。3度目の挑戦だが、今年は事情が違う。上原さんは07年7月16日の新潟県中越沖地震では原発内で被災し、今年3月の大震災では福島第1原発の事故処理に携わった。そして、福島県南相馬市の実家は津波で全壊し、両親は避難生活を送る。上原さんは「複雑な立場だが、自分が走ることで少しでも被災者の励みになれば」と話している。【宮地佳那子】

 ◇柏崎で被災、福島では事故処理…思い複雑、でも「励みになれば」

 マラソンコースは柏崎市内41カ所に設置されていた仮設住宅跡地を巡る。市内の飲食業、大図辰芳さん(58)が08年から中越沖地震の復興を願い、避難者たちを励まそうと始めた。今年は上原さんを含め19人が参加する。

 上原さんは当時、柏崎刈羽原発2号機の原子炉建屋の使用済み燃料プールそばにいた。突き上げるような揺れだった。「茶わんを揺すったような勢いで水があふれ出した」。プールから飛び散る生ぬるい水が、両膝下までかかり、ビニール袋で両脚を覆い、警報音が鳴り響く中、原子炉建屋出口に走った。しかし、故障した二重扉が開かず、屋内に閉じ込められた。「怖かった。なるようにしかならないと思った」

 東日本大震災では業務応援で3月14日、福島第1原発の事故現場に入り、同月30日までタービン建屋などで復旧作業をした。地下に高濃度の汚染水がたまった2号機では、放射線量の測定器の針が振り切れた。「事前に放射線量は高いと聞いていたが……。でも、だれかがやらないと事故は収束しない」

 復旧作業のため、津波で全壊した南相馬市の実家にも行けず、家族とも会っていない。両親と兄家族は無事だったが、今は同市内の仮設住宅と民間賃貸住宅に散り散りに住んでいるという。

 上原さんは毎日、原発から自宅まで約12キロを走ってマラソンに備えている。中越とともに東北の被災地の復興を願い完走を目指す。 新潟水害(04年7月)などで災害ボランティアの経験もある。

 「時間ができれば大震災の被災地で、がれき撤去などのボランティアをしたい」

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